児童虐待と「ばあば」の支援について考える。
このところ、大学の授業や小説、ニュース、そして知り合いの話から
児童虐待について向き合う時間が増えた。
現在の児童虐待に関する法律や福祉制度、社会的支援は手厚い。
しかし、これだけの構造と支援がありながらも、
救いの手から漏れてしまう子どもが後を絶たない。
連日報じられる児童虐待のニュースに青ざめる。
取材で知り合ったある大学の先生は、
「コロナ禍で軽度の虐待が増えている」と話していた。
こうした子どもは人に相談できず、表面的には明るいが、
感情の起伏が激しいことが特徴の一つだという。
明らかな虐待ではない軽度の虐待は、
親も「しつけ」だと思っていることがほとんどだ。
親も子も「普通の人」。
だから先生も友だちも気づかない。
主張もしない。
むしろ隠すものだ。
ただただ自分を責める。悪い子だと責めるだけだ。
そんな子どもの様子に気づきやすいのが「ばあば」なのかもしれない。
忙しい娘に代わって孫の子育て(「孫育て」とは意味合いが異なる)を担う
「ばあば」の存在は意外とクローズアップされにくい。
自治体が「孫育て講座」などを開催しているが、
もっともっと深刻なレベルの悩みを抱えるシニアの女性たちがいる。
まともに子育てに向き合えない「わが娘」を見て、
「自分の子育てがまちがっていたのか」とばあばたちは自分を責めている。
そして「ばあば」は孤独に陥りやすい。
「じいじ」が共感的に支えてくれないケースも多い。
保育所や学校とも連携がとりづらい。
どうにか支援できないものだろうか。
なぜか、以前から「ばあば」サイドから相談を受けることが多く、
共通の問題点が浮き彫りになってきた。
どうにか支援できないものだろうか。
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