私には故郷がない
最近、「故郷の町おこし」なる記事をよく目にするが、
私には故郷がない。
それだけに、地元を愛し貢献する人たちが眩しく思える。
実家のある横浜には10年ちょっとしか住んでいなかった。
その前は大阪府寝屋川市に10年間。
社会人になってからは、(希望していなかった)静岡県に会社の意向で飛び、
そこに居ついて早10ウン年。
実家では関西弁を使い、
友人とは標準語、
家では少し静岡訛りの標準語+関西弁を話す。
故郷がないので祭りで神輿を担いだこともない。
幼稚園の頃、地蔵尊祭りに行ったくらいか。
氏神さんも持たない。
横浜は鉄道会社が開拓した新興住宅地だったので、
地元の伝統文化はゼロだった。
10年ちょっとしか住んでいない実家の周辺は、様変わりした。
静岡のゆるふわペースが染み付いた私は、帰省してもよそ者気分だ。
大阪の生家には30年前から親戚が住んでいるので、
遊びに行くと”お客さん”。
かといって、静岡も”よそ者気分”だ。
これは一生抜けないだろう。
静岡の受験事情もお雑煮の味付けも知らない。
汗だくで神輿を担ぐ人を見る度に、うねりのように”よそ者感”が去来する。
結局、どの街で町おこしに参加しても「よそから来た人」ということになる。
堂々と「故郷」と呼べる場所があることは、幸せなことだ。
自分を育んだ土地への思いは、やはり特別なのだろう。
せめて子ども達には、今住んでる街を「ふるさと」と呼べるようにしてあげたい。
よそ者にはよそ者なりの、プライドがあるのだけれど。
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